それってどうなん 

庶民は続くよどこまでも

 

昔話。

いくつかのセミナーを受けたりしていたご縁から、とある占術を習った。

 

ある時、先生が時間に遅れてきた事があった。

 

遅刻の理由は交通事情とかではなく、授業の前に一人の生徒と約束をしてお茶をしていたそうだ。

そして目的地まで迷子になったらしい。(先生は地方から遠征。開催場所は慣れないと分かりにくい。寄り道したからいつもと違うルートで迷ってしまったそう)

 

結局、何だかんだ授業開始は約1時間遅れでスタートした。

 

土地勘の事情なども考慮したらそれだけなら許容範囲だった。何なら笑い話にしてしまってもいいくらい。

 

だけど問題はその後の対応だ。

 

先生はその日の授業を30分ほど繰り上げて早く終わらせた。

 

理由は、その一緒にお茶をしていた生徒がその日元々用事で早退をしたのだが

「ちょうどキリのいいところだし、これ以上進めたら○○さん(早退した人)も次回分かりにくくなっちゃうだろうし」という理由だった。

 

 

結局その日の授業は先生とその生徒の遅刻&早退の事情で実質1.5時間くらいしか行われなかった。(通常は3時間)

 

自分の事情で遅れてきて、他の人の事情で切り上げて、時間通り来ている人に対しては何のフォローも無し?

 

仮に○○さんに心配するような事情があっての配慮ならば、差し支えない範囲で共有してくれたらいいし。(○○さんは普通に元気そうだし余計分からない)

 

一授業一回あたりで数万円払っているのに・・と考えてしまう私。

 

授業は他のみんなに合わせて普通に時間通り行うのが筋じゃないのか。

その人に対しては個別に補講とか補習をすべきなんじゃないの?とも思った。

 

 

一回あたりの金額は諭吉が3枚。(逸れるけど2024年からは栄一さんだそうですね)

 

趣味に近い習い事だとしても、そのための時間とお金は安易に捻出しているわけではない。

 

優雅な貴族向けの講座なら、お互いのために最初から受け入れないでくれ。一定以上の条件付にするとかして。

 

 

生徒は会社経営者とか士業とか。普通の会社員もいたけど先生と旧知の仲の人だった。みんな単身者だった。

独身貴族ってもはや死語だけど、自分だけのために時間を使える人と家庭がある人で相違があるのは仕方ない。

どっちがいい悪いでなく、物理的に。

 

 

そういう様々な人達と交流して占術を学ぶ時間は刺激もあったが、その出来事あたりから段々と微妙な感情が芽生えてきた。

 

 

受ける側にとっては趣味、学び、仕事への投資の一環、と人の数だけ様々な事情があるけれど、主催側にとっては金銭のやり取りが発生する立派な仕事じゃないですか。

時間当たり単純に換算すると高額な報酬。

 

 

権威も肩書も無い生徒だから舐められたのかもしれないが

お金についてはそれぞれ感覚が違うのは当たり前だとしても

時間は誰にも等しく貴重なもので。

 

先生の常識と感覚がいまいち理解しがたかった。

 

住む世界が違いすぎたのかもしれない。でも憧れもしなかった。

 

そんな事にヤキモキしながら時間とお金を溶かした自分。

 

きっかけはあるにせよ、見通しの甘さとかを突き詰めるとつまるところ自分の責任で

主体性が足りないとそういう事になる。

 

病んでいるその時限定で自分を救ってくれた事もあるのかもしれないし、そんな小さな事で責めたり揉めたりして終わるのも嫌で穏便に済ませたけど。

 

 

そういう依存的な関係性はお互いにとってあまりいいものではない。

 

半年くらい通ったお金は高い勉強代になったが、それ以上無理して通い続けて沼ったらきっともっと後悔や自責の念に駆られていただろう。

 

どこかで無理があるものは、長い目で見ると続かない。

 

やめる事を伝える時に先生には申し訳ない気持ちもあったが、なぜか受けもしない翌月分の授業代も請求された。

中途解約料かと思い後日書留で送ったら慌てて連絡があった。

慌てて連絡して「悪いわよ」って恐縮するくらいなら最初から言わないで。結局吹っ掛けただけなのか?余計に微妙な気持ちになった。

 

 

やめるとかネガティブな事を伝えた時の顔とか言動ってその人の本性が出やすいと思う。

 

こちらも建前上の理由を伝えたから、もしかしたら自分勝手な生徒だと思ってそういう事を言ってきたのかもしれないけど。

 

言葉と行動の差が大きいほど、言葉は色褪せていく。

 

 

ケチくさい事を言うようでも、庶民の感覚は私にとっては時間、お金、人付き合い、そして大事な心身や生活を健全に保つ秘訣のような気がするから、今後もどんなことがあってもその感覚は忘れないようにしようと思う。

 

 

ちなみに当時関わりのあった先生と数人の生徒達、誰もその占術の道では現在活動していないようです。

 

 

 

終わり