親を超えていく
親に感謝できない出来事が自分を苦しめているとしたら、世間一般の「親への対応」に縛られることを一旦やめてみる。
なぜなら毒親育ちは「自分の事を第一に考える訓練」を「意識的に」しないと、いつまで経っても周りの顔色を伺いながら我慢して生きる事になるからだ。
いつになったら親を受け入れられるのか、許せるのか
そういう事に囚われて悶々と苦しんでいても報われないままだ。
感謝とか、親孝行とか、そんな事は二の次三の次だ。
まずは自分の人生を生きる事が優先で、ようやく余裕が出来た時にそういう事は考えたらいい。
その余裕が出来る時だって、それが来るのか来ないのか、そういう事も気にしない方がいい。
自分を生きていくうちに親に囚われなくなっていくことで、いつしか親を超えていくのだろう。
隣の芝生の青さ
世間一般的に「毒親」の基準に分かりやすく当てはまってしまう親と、そうでない親がいると思う。
だが、きっと世の中に「完璧な親」はいない。
自称「私の親は完璧です」とか「私は完璧な親です」っていう人とか「傍から見ている限りあの人は完璧な親です」って人はいるかもしれないけれど。
同じく「私の親は毒親です」「私が毒親かもしれません」「あの人は毒親です」っていう人がいたとて、子供が「うちの親は毒親じゃありません」って思えばその人は毒親じゃないという。
そのくらい、人の認識って曖昧なものだ。
誤解を恐れずに言ってしまえば、誰かの「親」である以上、どんな人だって多少は毒親の要素を持ってしまうんだと思う。
誰しも完璧ではないまま歳を重ねていく。
傍から見たらそうは見えない人にだって案外複雑な思いがあったりするものだし、あまり悩みのなさそうな人だって、実は何かしら抱えていたりする事もある。
とっても仲良くて羨ましい親子とか家族は確かに存在している。
でも、羨ましがっても嫉妬してもそれを自分が手に入れられるわけではない。
そんな家族にだって、何かしらの秘密があるものなのかもしれない。
ないかもしらんけど。
家族って各々がその家庭ごとに特殊な世界があるから、他人には分からない事が沢山ある。
隣の芝生が青く見えていたとしても、真実なんてどうでもよくて、自分にとって案外それは幻想なのかもしれないと思っているくらいでちょうどいいんだと思う。
自分も、親も、同じ未熟な人間で
「許す」とか「感謝」とかそういう綺麗な言葉では片づけられない毒親問題。
自分が40歳過ぎても未だ、人間として成熟なんて程遠いと日々思う。
きっとしぬまで、そんなんなんだろうなーと。
そして「親」って大変だなと思う。
子供のまま、未熟なまま、社会を知らないまま、世間をよく知らないまま、子供を産んで育てていかなければならなかったら、子育てを楽しめる余裕なんてきっと全く無いだろう。
とにかく必死で目の前のタスクをこなして、とにかく必死で人間という生き物を育てていかなければいけない。
気付けばあっという間に子供が大きくなっていって、気づけば反抗されたり嫌われたりして。
反省や後悔や失敗なんて挙げ出したらきっとキリがなくって。
だからといって親に同情しろと言っているわけじゃないけれど。
ただ、親も親で必死で生きてきたんだという事。
何かに追われながら、何かに縛られながら、何かに囚われながら、悩みながら、泣いたり笑ったり、怒ったりしながら、親も親で自分なりの精一杯を生きてきたんだろう。
同情はせずにドライに考えてしまえば、己の愛情の注ぎ方がまんま返ってきてしまうのだから、ある意味子育てって一番ウソが効かない作業なんだろう。
そんな親とどう付き合っていくのかはその人ごとに色んな考え方があって、その時々の自分に問いながら自分の納得のいくようにしていけばいい。
絶対的な正解に縛られる必要もなく、波のように揺らぐ感情に無理に蓋をせず、自分の心を雑に扱わないように。
そして、そんな自分の未熟さとか、出来なさとか、ダメさとか、愚かさとかもひっくるめて愛せる人間の方がきっと人生って楽しいんだと思う。
それと同じくらいに、他人の未熟さとか、出来なさとか、ダメさとか、愚かさとかも愛せる人間はきっと人生が豊かなんだと思う。
そして最後に、幾つになっても未熟で、出来なくて、ダメで、愚かな親の事も愛せたら、きっともっと見える世界は優しいものになっていくのかもしれないなと、思う。
終わり
P.S.
ここまで「毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために」を長い間読んでくださった方達、ありがとうございます。
毒親についてのブログは一旦今回で終わりにします。
私自身が書くことによって救われてきた部分もあり、書くことによって気持ちの整理が出来た事もあり、読んでくださっている方達がいることで、励みにもなっていました。
こちらの毒親ブログは、過去の私のように悩んで辛い人の目に止まったらよいな、との気持ちでずっと書いてきたので、今後もずっとこちらにこのシリーズは残していく予定です。
今後はまた別の形でこちらのノートには引き続き何かしらは書いていくかもしれません。
相変わらず不定期更新にはなるかと思いますが、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。