女の美学 ~嫌いな他人の調理法~

調理の匙加減

※自分に対して害を及ぼす強烈な人(毒親やパーソナリティ障害が疑われる他人)は除きます。

 

もっとライトな関係性(職場や趣味仲間や親戚や近所付き合いなど)での話。

 

 

 

嫌いな人が丸ごと食材だとしたら、嫌いな食材を丸ごと食べろというのはちょっと雑で暴力的な考え方だろう。

 

無理やり好きになれ、というのも同じく暴力的な考えだ。

 

じゃあ、嫌いな食材だから雑に扱っていいか、嫌いだから捨てていいか、というのも暴力的な考えだろう。

 

食材にとって失礼だし自己中心的すぎる。

 

 

食べ物と人を全く同じようには捉えるのはやや無理があるけれども

 

嫌いな人を好きになることは難しい。

 

人間だもの、好き嫌いあって当たり前。

 

嫌いな人は嫌いのままでいい。

 

 

そしてそれは「お互い様」だ。

 

もしかしたら誰かも自分の事を「嫌い」って思っているかもしれない。

 

何気なく発した一言とか、そんなつもりじゃなかった会話とかリアクションとか、

 

そう、自分では全く無意識で行っている数々の言動が、誰かの癇に障っていることだって普通にあり得る。

 

人間というものは感覚的なものであり、常に移ろい続けていくものなのだろう。

 

だから、人間関係に「正しさ」を持ち込むと崩壊する。

 

嫌いのままでいいからって嫌いを正当化して攻撃するのはダメだ。

 

 

人間関係は「適当」が一番だと思う。

 

 

で、具体的にどうしたらいいかというと

 

意識しすぎないこと、嫌いと思い込み過ぎないこと

 

これが出来ることが「嫌いな人沼」から抜け出せる近道だ。

 

「嫌いな人」がいなくなってくると、平和で幸せな世界が広がってくる。

 

 

ここで勘違いしてはならないのが

 

「嫌いな人がいなくなる」≠「好きな人だけになる」

「嫌いな人がいなくなる」≠「みんなと仲良くしなければいけない」

「嫌いな人がいなくなる」≠「みんなから愛されなければならない」

 

ノットイコールだ。

 

 

もちろん、純粋無垢な子供のようにみんなを好きになり、みんなと仲良くし、みんなから愛される、そんな人がいたらそれはそれで素敵かもしれない。

 

大人になってまでそんな邪気のない人間が実在するとはあんまり思えないけど。

 

偉人伝に出てくるような歴史上の人物とか、あれはもはやファンタジーだし。

 

 

でも、自分が「嫌い」と強く思うのも、誰かから「嫌い」と強く思われるのも、どっちにしても疲弊する世界だ。

 

血で血を洗うハードモードな世界に生きたくはない。

 

だから、人当たりはよく、人には親切にする、というのは至極真っ当なことで、ある意味大正解。

 

だけど、自分納得しないとできないんだよね、訳わからないのにみんなに愛想なんか振り撒いてられっか、っていう私みたいな面倒くさい人もきっといると思う。

 

そういう人のために哲学はある。

 

 

訳も分からず愛想を振り撒かなくてもいいし、イヤな時でも笑顔で耐えるとか、ドMじみた事もしなくていいと思う。

 

ちょっとくらい態度に出たっていいと思う。

 

ただ、気をつけるべきことは相手に失礼のない程度の言動を心掛けること。

 

あとは、たとえ納得しなくても嫌いな人を徹底的に嫌わないこと。

 

 

嫌いな人も誰かにとっては大事な人だったりする。

 

自分もそうなように、相手にも相手の事情がある。

 

 

どんなに悩んでいようが相手は相手の世界を生きているし、

あなたが悩み苦しんでいる今頃、相手は笑っているかもしれないし、

あなたの事なんて1ミリも考えてもいないかもしれない。

 

それは自分も同じくだ。

 

知らないところで誰かが自分の事で悩んでいたって、知らなければ頭にも浮かばないし、それでも人生は日々良きに計らって進んでいく。

 

 

嫌いな人を食べ物だとして考えたらなるべく食べたくないだろう。

 

だが、好きな物だけしか食べないことをしていると人間の身体は栄養が偏ってしまう。

 

嫌いな人ってのは食材と同じく、不味いけど全体的なバランスを考えたら少々必要悪みたいなものなんじゃないかと思う。

 

自分を磨いてくれる事ってどちらかというと痛みを伴う事だったりする事も多いし。

 

とはいえ、それが全てではないし人間関係は好きな人に囲まれるのが幸せだ。

 

できれば嫌いな人なんかと積極的に関わり続けたくはない。

 

特に40代を過ぎたらそういう修行の時期は過ぎていると思う。

 

なのでここで「嫌いな人と無理に付き合うことが正解」ではなくて、繰り返しになるが、なるべく「嫌い」の意識を減らしていく方法がベストなんじゃないかと。

 

捉え方としては、嫌いな食材を刻んで混ぜるとか煮込んで柔らかくしてみるとか、好きな調味料、スパイスとかハーブとか薬味的な感じとかで調理法を工夫して、少しくらい食べるか、的な考えで取り入れてみるといいんじゃないだろうか。

 

嫌いの理由があるはずなので、食感なのか硬さなのか味なのか匂いなのか見た目なのか、分解していって一番合う調理法を探す、みたいな。

 

なんとなく嫌い、みたいな感覚だとしても、細かく砕いていくと何かしらの理由があると思う。

 

嫌いな食材にも一応敬意と愛情を払いつつ、嫌いのままでいいから適当に食す、的なスタンスで。

 

そんなことをしている間に、気が付いたらそこまで嫌いでもなくなっていたりして。

 

 

まぁ、吐きそうな時に無理に食すのはやめた方がいいから、自分の腹の余裕と相談しながらになるけど

 

 

そしたらラッキー、くらいな感じで軽く考えられたらいいよね。

 

 

・・・食材の例え、かえってわかりにくいか?(笑)

 

 

 

終わり