なんか違う、っていう感覚は、きっと間違っていない。
普通 一般的 なものや生活、価値観にいまいちハマりきれない、とか
誰かに言われた事が、世間一般的に正しい事だとしてもなんか納得いかないとか
自分はおかしいんじゃないか、
自分に合うものや人なんて、どこ探してもないんじゃないか、とか
思うことがあっても
大丈夫。
その答えはきっと自分の先の未来にある。
自分の欲しい答えは、自分の奥底に眠る自分が一番よく知っている。
かといって、誰かが間違っているわけでもない。
自分だけが悩んでいるわけでもない。
みんな、それぞれに悩みながら生きているし
マジョリティの中の人だって、似たような感覚は持っていたりする。
ただ、それを感じる強さが様々なのかもしれない。
うっすら感じても見ないことにできちゃう人
奥底にあっても気づかない人
悩んでも仕方ないから考えない人
そして、感じる強さが人よりあるのだとしたら、実行する強さも伴うと自分の思い描く何かを手にする確率は増えるだろう。
感じるのに蓋をし続けたり
誰かの意見を崇めすぎたり
多数派でいようとし続けたりすると
きっとずっと悩みは尽きないし
下手したら病んでしまう。
努力も人一倍できてしまう人は、違う方向に努力してしまうと精神的にも多大なエネルギーロスになる。
その強さを、自分を責めるエネルギーに使わないでほしい。
思いが強ければ強いほど、ベクトルを違えると病んでしまう。
無理やり誰かの基準に合わせる方向に努力するのではなくて
自分の基準を実行していく方向に努力をする。
思い描く自分の基準に沿って行動し続けることは、感受性の強い自分を救ってくれる。
たとえ誰かが「今」わかってくれなくても、先の未来の自分と答え合わせが出来たらそれでいいのだと思う。
ただし、自分が基準だからといって無闇やたらに周りを敵に回してしまうのはよくない。
もちろん、迎合する必要はないし、違うものは違うと断固示す姿勢も時には必要で結果的にそれが袂を分つことになる時もあるだろう。
ある程度は、合わないものと離れる勇気も必要で、それは仕方ない。
ただ、ある程度の年齢になったなら周りとも適度に調和しながら生きる方が幸せ度も高くなる。
孤独を知っている強さと、孤立はまた違う。
迎合ではなく、調和。
敵対ではなく、自立。
和して同ぜず。
これが一番難しいのだけど、まずはお互いの違いを尊重する事からなのだと思う。
それでいて自分の芯を持ってる人は魅力的だし、そんな自分になっていたいなと、思う。
終わり