毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑭

心の世界のサバイバルスキル

 

サバイバル - Wikipedia

たとえば爆発事故などの場合は、一般論としては、まず爆発している物からできるだけ遠ざかる、逃げるということが最優先のことになる。(爆発事故の場合は、とりあえず逃げることが先決であり、とりあえず他のことは考えなくてよい。)

 

古来から人間は「生き延びるために」移動する生き物だ。

 

今だって動物たちは当たり前のように「生き延びるために」逃げる、移動する、を繰り返して生きている。

 

 

平和な国に生きていると直接的に命を取られることはそうそうないので見過ごしてしまいがちだが

 

「身体は無事でも心は負傷する」事はそこら中でしょっちゅう起きているだろう。

 

心や精神の世界は目に見えないので「なんてことないように」見えてしまうという

騙されやすい世界でもある。

 

可視化したら恐らくホラー映画のように血だらけ傷だらけのゾンビみたいな人間がそこら中にウヨウヨいるのではないかと思う。

 

平和な国日本でも心の世界は「超サバイバル」だったりする。

 

映画のように突然ヒーローが救いにきてくれて「悪党を倒し」全てハッピーエンドになるわけではないのがリアルな人生だ。

 

そのためには、自分を生かすため、守るための最善策をとる「心のサバイバルスキル」も必要になってくる。

 

 

「置かれている環境」の影響って、思っている以上に精神的に大きく影響しているものだ。

 

そこにいる時は気づけないこと(無意識)が、離れてから気づけたり(意識)。

 

「環境を変える」ことで思考も落ち着いたり、柔軟に変化しやすくなったりするものだ。

 

「距離を取ること」で精神状態に作用する効果は想像以上に大きい。

 

爆発物から身を守るために「まず遠ざかる」ことが大事なように、ストレス源からはできるだけ距離を取る工夫や努力をすることも必要だ。

 

気づいた時点で、どうやったらそのストレスから身を守れるかを全力で考える。

 

生きるために、大切な自分を生かすために、考える。

 

最善な道を様々な方法を駆使して考える。

 

 

物理的に今すぐ「逃げる」ことが難しい時、辛すぎると無意識に現実逃避してしまっているとは思うけど

 

どうせ逃避するなら現実的に「距離」を取って逃げる方が後々の自分の為には健全な選択だ。

 

すぐに逃げられない時にも、そこだけが自分の生きる世界の「全て」ではないことを、情報として頭の片隅だけでもいいから知っておく。

 

そして「次なる世界」への希望をわずかでもいいから作っておきたい。

 

グルグル不安や不満に苛まれてしまって一人で考え込むとあまりいい方向にはいかない。

 

気分転換だけで切り替えられない状態の時、どうしても辛すぎる時は、まずはそこから逃げる事「だけ」を考える。

 

「負のループ」は、動くことで一旦切りたい。

 

その場にとどまって「立ち向かう」方法を考えない方がいいだろう。

 

立ち向かうだけが勇気ではない。

逃げることも勇気だ。

 

仮に逃げることを誰かに「弱者」や「現実逃避」のように蔑まれたり、罪悪感を植え付けるような事を言われたとしても「てやんでぃ、ばかやろー」くらいの不良精神を持つ。

 

心理的にもすぐ離れられるかは別としても、まずは物理的に離れる方が「負の沼」からサラバしやすい。

 


とにかく大事なのは、何よりも自分の心がそれ以上壊れないようにすることだ。

 

 

私は毒家族の激しい愛憎劇の中で自分と人を責め続け、結果的に心身ともに壊れてしまった経験がある。

 

命はあるから何とか立て直せたが「健やかな心身」を取り戻すまで日常生活を軌道に乗せるまではかなりしんどかった。

 

「健やかな心身」と書いたが、元々健全な人のピカピカした眩しい健やかさと比べたら、薄汚れたものではある。

 

色で例えたら「純色」と「濁色」くらい大きく違う。

 

這い上がるまでに何度も「こんな辛い思いをしてまで何で生きているんだろう」と思った出来事も多々あった。

 

だから、あの時の自分への戒めも含めて

「逃げることは弱虫ではない」

「逃げることは自分を守れる強さにもなる」と伝えたい。

 

逃げることってどうしてもネガティブに捉えられがちだけど、時には逃げる勇気が後々に英断だった、なんて事も多々ある。

 

 

人生には逃げてはいけない時もあるけど、逃げた方がいい時もある。

 

「過去の自分自身の甘さや弱さが招いた失敗」を自分で塗り替えたい時は逃げない方がいいけれど、そこに自分以外の「誰か」は絡まない。

 

あくまでも「自分」からは逃げてはいけないし、逃げられない、ということなんだと思う。

 

そしてその決断を間違っていなかったと判断するのは「他人」ではなく「未来の自分」だ。

 

そう思えるためにそれに向かって努力することを選べるのも「自分」なのだ。

 


そして、仮に「あの判断は間違いだったかも・・・」「失敗した~!」と思う経験があったって、命さえあれば立て直せる。

 

だからそれが正しいか間違いかなんて気にしてるよりも、失敗も間違いも笑い飛ばせるようなタフな人でありたいとも思う。

 

 

 

 

続く