毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑮

きょうだいは他人の始まり

 

仲間外れ、ってされたら誰でも嫌なものだ。

 

私は家族間でも幼少期には分かりやすくそういうことはされなかったと記憶している。

 

きょうだいのうちの一人は私に対して小さい頃から常にアタリがキツかったが、

どちらかというとただ一人暴走している感じだった。

 

本人が激しい気性の持ち主で自己主張も強く、周りの大人も手を焼いてしまうようなタイプだったので仕方ないな・・くらいの感じだったのだろうと思う。

 

 

家族の構図が明確に変化していったのはそれぞれ独立してからだ。

 

幼少期から元々気質や性格の違いや相性もあったけれど、大人になってからはおそらく「属性」の違いも手伝って、余計に溝が深まっていったのだと思う。

 

「属性」というのは家族構成や住居や職業、そしてそれにまつわる経済面、生活スタイルや考え方、価値観だ。

 

それに加えて「思想(宗教絡み)」という大きな問題もある。

 

 

元々同じ屋根の下で同じ親に育てられていたから当然のように似たような価値観同士で仲良くしやすいのがきょうだいなのだけれど

 

成長するにつれ少しづつ、その重なる部分が色々違っていき、どんどん遠くなっていってしまった。

 

 

きっとそれは、子供が独立すればどの家にも起こる自然なことでもあるのだろうけれど。

 

そこの「違い」をお互いに当然のように受け入れてずっと仲良くやっていけるきょうだいもいるのだろう。

 

 

私の場合はその違いを責められることが多くなっていった。

 

でもたとえその「違い」があってたとしても、おそらくきょうだい同士「だけ」だったら意外とそれなりに、薄く浅く、仲良くもないが特別仲悪くもない程度のアッサリした付き合いをしていけたかもしれない。

 

その「違い」を明快に言葉や態度に表し、薄いながらも繋がっていたきょうだいの絆すらをぶった切って更にバラバラに分けた主犯格は「母」なのだが。

 

 

おそらく、そんな母に負けないくらい別の人格として明確な強い意思をそれぞれが持っていて「いい方向に」うまく結託出来れば、きょうだい同士でそんなに酷く憎しみ合うことにはならないのかもしれない。

 

私も含めみんな我が強いところがあるけれど、それがよくない方向に行ってしまうと最悪だ。

 

揉めに揉め、傷つけあって憎しみ合って壮絶なバトルを繰り返していた頃に、きょうだい達に「母が絡むと話が複雑になるのできょうだいだけで話し合わないか」という疑問を呈したことがあった。

 

だがそんな提案など聞くものか、という憎しみに満ちた罵声と共に却下された。

 

その時にはすでに、私が孤立する構図になっていっていた。

 

当時病床に伏せていた父の病室に見舞いに行けば、私を除いた家族たちで旅行した時の写真が飾ってあったり。

 

家や土地の売却という大きすぎる話までも私の知らないところで秘密裏に進めていたり。

 

よかれと思ってこちらがやる事は否定されたり蔑まれたりと、それはもう分かりやすく「イジメ」だった。

 

 

 

 

続く