女の美学 ~人間観察記~

自由なエッセイ

女の美学 ~気にしぃか?そんなあんたは鈍感すぎ~

 

少し前の話。とあるところに、人の「繊細さ」をバカにしてくるお方がおられました。

 

気にしぃ、とか、考えすぎ、とか。それは何度かに渡りまぁまぁしつこく言うてはりました。

 

人生の中で何度か言われたことはあるので自分の繊細さは自分でも知っている。

 

だが中年になった今、面と向かって親しくもない相手に失礼を言われる機会はそんなにない。

 

人の動向を逐一気にして悪口を言いふらす気にしぃ野郎であれば、人間関係に損害を被るので言われるのは分かる。

 

わたしはそういう方の気にしぃ野郎ではない。むしろ超平和主義。揉め事を極力事前に回避すべく日々尽力している方の民。

 

言われる筋合いはまったく無い。

 

だから、ほんとはわたしも面と向かって、とことん泣くまでそのお相手に詰問攻撃お見舞いしたかったんですわ。

 

いや、でも立場的にな、したら終わり、まずいから踏みとどまるんですわ。

 

でも言われたイヤな響きってそう簡単に忘れない。

 

だからそんな我慢した自分を褒め称えつつ、ここは一つネタとしてこちらで盛大に呪詛を唱えて昇華させることにする。

 

 

ここで言わせてもらいますわ。

 

 

だから、あなた、なんか全体的にダサいんじゃなくって?

 

 

・・言うたった

面と向かって言うたらあかんやつ

身も蓋もない

んで、泣かれたりなんかしたら、被害者が加害者パターンで

言うた方が性悪なりますわな

 

 

まぁ許せ。

これでおあいこっちゅーことや。

 

 

でもよ、舐めんなや。ここで終わらせないぜ。

まだまだ、とことん言うたるわ。

 

 

あなたがそうやって自分以外を引き下げたい理由は色々とあるのだろうよ。

 

だがこちらから言わせてもらうと

 

世の中のありとあらゆる「美」には繊細さが必要不可欠なんですのよ。

 

繊細さ、感受性、感性。

 

 

気にしぃ・・って嫌味言うんなら、「感受性強いね」とか「感性豊かね」とか言ってくんねーかな。

 

ま、そんな気回せる素敵な人なら、そもそもそうならんわな。

 

人がイラっとするような事をわざわざ言い、繊細さを貶めたとて。

 

果たして鈍感な人に何のメリットがあるんでございましょう?

 

醜さが増すだけだぜ。

 

逆にわたしの繊細さが、あんたにとってデメリットになった。

 

あんたの隠れた何かに刺激を与えてしまったのでしょうか?

 

 

 

トドメを刺すようで恐縮ではございますが、

 

繊細さが無い人が作り出すモノや描き出す世界観って、やっぱりそんな感じなんですよ。

 

平気で頓珍漢な事言ってまう人を取り巻くモノ達は、なんだか全てにおいてセンスがズレてたり。

 

わたしは相手にそんな事、よう言わんけどな。

 

でも正直に言うと、美しさ、美味しさに欠けるんですわ。

 

欠けるだけならまだしも、

 

この際ハッキリ言わせてもらいますわ。

 

ダサいのや。

 

ダサいものというのはもう救いようがないんですぜ。

 

一応言っとくが、人としてダサいのとセンスがないのとはまた別の話や。

 

ほんであんたは両方なのや。

 

センスがないというのは感性が鈍いということ。

 

感性が鈍いということは感受性も繊細さも鈍いということ。

 

センスは磨けるが、素直さがないと全く磨かれない。

 

素直じゃないと凝り固まってもっさりする。

 

 

たとえダサくても、心まで醜くなければ許される。

 

心の美しさでダサさなんていくらだってカバーできる。

 

ダサくても、懸命は美しい。

 

ダサくても、人に優しい人は美しい。

 

ダサくても、愛情あふれる人は美しいのや。

 

問題なのは、ダサい上に、人としてもだせぇこと言っちゃったりやっちゃったりする奴。

 

メリットといえば、ちょっとやそっとのことでは響かない、打たれ強いというより打たれていることを理解していない。なので頑丈なことくらい。

 

なんだか人間とモノ、似てますわ。

 

鈍感なものはえてして頑丈。

 

繊細なものはえてして壊れやすい。

 

どっちがいいかなんて知らん。

 

ただ言えることは、どっちもこの世には必要ということ。

 

そんで、今の日本社会で重宝されるのは大量消費に耐えられる頑丈さ、大量生産効率主義に都合のいい鈍感さ。

 

どっちも一長一短。

 

だからディするなっちゅーねん。

 

あんたが優れているとかでも無いわ。

 

適材適所。

 

繊細さが活かせ必要とされる環境

鈍感さが重宝され必要とされる環境

 

その違いだけなのかもしれない。

 

日本社会で長らく続いてきた雇用体系は、圧倒的鈍感さが有利。

 

鈍感な戦士の方が、集団の駒としてはありがたい。

 

だから、繊細さはネガティブワードとして扱われる。

 

でも、鈍感さのマジョリティに打ち負かされたくない。

 

 

ということで、まとめ。

 

わたしの人生においては感性が鋭い方がやっぱ得なんですわ。

 

繊細だと傷つくことも多いし、悩むことも落ち込むことも多いかもしれないけど、それと同じくらい、得ていること、きっとあんたよりあるのよ。

 

感じる量に比例して悪いこともいい事も同じくらいの数。

 

そうやって、感性も感受性も含め豊かに生きてるってことよ。

 

だからわたしはこのまんま、繊細さも愛していくのよ。

 

むしろもっともっと、感性を鋭くしよう思てますのや。

 

あんたがまったくついてこれんくらいに鋭くな。 

 

そして、最後に言っとく。

 

繊細で、かつ美しく、考え抜かれたもの、鍛え抜かれたモノは、時を超えて長く愛でられる。

 

そうして作られたいいモノは長持ちしますのや。

 

時々修理しながら、メンテしながらずっと使えるモノは、人の心も生活も豊かにしてくれますのや。

 

美しさって、そゆことちゃいますのん

 

繊細さを、美しさに変えられるのは繊細さんたちの長所と思てます。

 

 

お節介言いますが、あんたもちょっとは、感性、磨いたらどうや?