カオスでグレーなロスジェネ世代

 

時代は常に変化、進化している。

 

時代と共に人間の価値観も進化するし多様化するが

人間には、世代によって若干傾向のようなものがある。

 

私たち氷河期世代(ロスジェネも含む)は、昭和の匂いも根強く残っている世代だ。

 

一回り上の元気なバブル世代。

親世代は高度経済成長期のモーレツサラリーマン。

祖父母世代は戦争経験者。

 

 

「24時間戦えますか→YES」が正解とされる世代に育てられた。

 

パワハラ」なんて言葉も今ほど浸透していなく、我慢するのが「美徳」という戦時中みたいな考え方が根強くスポ根が幅をきかせていた。

 

「国のために」戦い「強い国」を作り上げてきた上の世代のお陰で、生活はだいぶ豊かになった。

 

豊かになっていく過程でバブルが崩壊し、時代と共に物質的な豊かさが飽和状態になっていく国の中で、どこに向かっていったらいいのか分からない世代でもある。

 

ロスジェネと言われる所以だろう。

 

みんなが一つの方向を向いて戦っていくことで、必ずしもみんなが「勝つ」「よくなる」「豊かになる」というわけではない。

右肩上がりの成長神話は、成長期の学生時代に壊されてきた。

 

「当たり前」とされてきたこと、上の世代から教えられてきた価値観や成功法則はことごとく時代の変化でぶち壊されていく。

下の世代はどんどん新しい価値観を創っていく。

 

その狭間で旧態依然の価値観にしがみついていても、時代は確実に変化している。

 

受けてきた教育と、自分の目の前の現実とのギャップに戸惑いながら不安を抱えて生きている人も多いのではないかと思う。

 

子供の頃に感じていた、昭和の高度成長期の匂いを感じるあの何とも言えない明るい世の中の空気。

 

思春期の頃に感じていた、今ほど規制のないエンタメのゴリゴリな元気なムード。

 

あの頃の明るさを懐かしむ気持ちと共に年齢を重ねている中年も多いのではないだろうか。

 

社会人として働くことも考えなければならない年頃には、エンタメの活発な明るさとは裏腹に景気は悪化していて、まさに時代は「氷河期」だった。

 

経済、雇用の冷たさ、厳しさと同時に、「心」に響くエンタメの世界や、「日本以外の国」は元気で活発で輝いて見えていた。

精神面で言えば、そんな元気で明るい世界の強さに支えられてきた世代だとも思う。

 

就職せず(うまくできずに)にフリーターになる人も多く、義務教育が終わってからのその行き先は様々だった。

 

海外に出る人、フリーターを続ける人、大卒でも資格のためにさらに専門学校で武器を身に付ける人、「手に職」を磨く人。

 

 

学生を卒業して大人になるほどに、成長の段階として人は自然と「みんなで一緒に」同じ方向を進むことは少なくなってくるけれど、

ちょうど時代の価値観もリンクしていて、全体的にも今は個人的な志向が尊重されてきて多様化が進んでいる。

 

中年に差し掛かり中堅となった氷河期世代の生き方は、上の世代ほど分かりやすく一定ではない。

 

右肩上がりを信じて疑わない一つ上以上の世代から教えられてきたことは「幻想かもしれない」と早々と気づいて、古い価値観を壊していったり新たな価値観を作り上げている人。

 

右肩上がりを信じていた昭和の価値観を踏襲しつつ、「勝ち」を諦めず「守り」に入りつつもバリバリ突き進んでいる人。

 

時代の変化に対して無力感を感じつつ「諦観」で生きている人。

 

同じ氷河期世代でも価値観は様々だ。

 

 

「男」「女」の役割も上の世代、下の世代ほど明確に分かりやすくない。

 

たとえば「ご飯代は男が出すのが当然」な昭和の価値観と、「ご飯代は割り勘が当然」な平成の価値観が混在している世代だったりする。

 

「働くこと」においても、「男が稼いで当然」と「女も稼いで当然」の昭和と平成の価値観が混在し、せめぎ合っている。

 

「車」「家」など生活にまつわる「経済」の価値観も然り。

 

 

ロスジェネ世代は「カオス(混沌)」の象徴なのかもしれない。

 

「失われた世代」という表現もやや分かりにくい。

ハッキリした色を持たないグラデーションのような。

 

 

コントラストの強い「白」よりも「黒」よりも、曖昧な「灰色」が合う世代なのかもしれない。

 

 

「灰色」は無彩色の中でも、白・黒より地味で曖昧だ。

 

有彩色のような鮮やかな明るさはないが、奥が深い色でもある。

 

江戸時代に「奢侈禁止令」というのが引かれ庶民は派手な色の着用を禁止され、「茶」「藍」「鼠」のみ着用を許された。

 

そんな制限された環境下の中でも人々は、繊細かつ微妙な色の変化を発掘していき、日々のおしゃれの楽しみにした。

 

茶系統と並んで鼠系統の色名が次々と誕生した。

 

「茶」「鼠」だけでも100以上の微妙なグラデーションがあり、その語呂の良さから「四十八茶百鼠」と名付けられた。

 

 

そのくらい、一口に同じ「グレー」といっても多種多様であり、繊細さや微妙さは活かし方次第で「粋」になる。

 

その上で使う鮮やかな色彩(有彩色)はアクセントとなり、そのベースカラーとなる無彩色もより映える。

 

調和がとれるとお互いを活かしあえる。

 

 

失われた世代は、経済的にも社会的にも損失が多いといわれる。

 

だが、無いものを嘆いて求めるばかりでなく、有るものを活かすことで、損失の多いつまらない灰色の世界をも活かすことが出来るのかもしれない。

 

 

 

 

終わり