毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑦

心の傷と思想

 

百歩譲って仮に片方の遺伝が強く出たにしても、性格や気質にしても

 

確かにどちらか一方に強く似るということはあるけれど、二人の子であり遡れば多くのご先祖様が両方にいるのだから「どちらかだけ」という事はないはずだ。

 

いくら父の遺伝や家系に似ているといったって、母の遺伝や家系の影響だってあるわけで。

 

性格にしたって、父にも母にも似ているな、と思う時もある。

いいところ嫌なところも含め。

 

何かと正反対の気質を持つ父と母だが、似たようなところもあったりする。

 

お互いの長所と短所も表裏をひっくり返せば補い合っていたところもあるだろう。

 

そもそも人の個性や性格や価値観をある一面だけで一括りにするのはあまりにも雑すぎる。

 

生育環境で作られたものもあれば元々の遺伝的気質もあるし、人にはみんな明るい面も暗い面も両方あったりするものだ。

 

ある事柄においては神経質でも別のある事柄においては大雑把だったりするのが大抵の人間だ。

 

なんとなく「こんな雰囲気の人」という括りはあるにしても、一面だけで判断できるほど、人は簡単な生き物ではない。

 

だから「片一方から欠点のようにみえるところだけ」に短絡的にフォーカスを当てて決めつけたり、それを「家族」なのに理解しないで排他的にあざ笑われたら私は傷つく。

 

私も「冷たい」と毒家族から罵られたことが何度かあるのだが、お互い様、というか、どこに冷たさを感じるかの「感覚」や「人として大切にするところの価値観」が違うのだろうな、と毎回思う。

 

 

で、そんな父親を尊敬しているような事をよく母やきょうだいは言っていた。

なのに、都合が悪くなるとそういう父の短所だけを取り上げて、私が「似ている」という理由で蔑んでくる。

 


父が生きていた時は、そんな父が潤滑油だった。

 


バカにされても「ハハハ」と受け流し、誰の事も責めない。

子供をそれぞれ一人一人尊重し、常に公平に接してくれた父親のお陰でみんなの均衡が何とか保たれていた。

 

そんな父がいなくなって、潤滑油がなくなって、家族が見事に崩壊した。

 

誰も庇う人間もいない中、サンドバック代わりにされたのは私だった。

 

私は父ではないので、みんなをまとめる力はない。

ただただバカにされて終わり。

 

私の心が壊れても、理解を示す人間は家族の中にはいなかった。

 

それどころかそういう「遺伝」「家系」、挙句の果てには「魂」のせいにされ、ただ一人異質な扱いをされた。

 

 

あれからだいぶ時が流れて、色々な紆余曲折を経て家族関係は一旦落ち着いた。

それぞれ個々で「家族として」は絡み合う事のない生活だ。

 

そのままその距離感を保っていられれば、数年に一度くらいのペースであればなんとか付き合いもできる。

でも根本的には変わっていないんだと、何かの事が起きる度に思い知らされる。

 

つい最近も、母と一番近しく付き合いのあるきょうだいから罵られる暴言があった。

久しぶりに会うというのに結局そうなるか、と残念な気持ちもありつつ、昔ほど強烈な感情に支配され引きずることはなくなってきた。

 

もう何年、何十年経っても、きっと根本的に分かり合えることはないのだなぁと改めて感じる。

 

私にとっての「家族」とは、ある意味で小さな頃からそういう修行の場だったとしか思えない。

「違いすぎる人間達」が入り乱れ、生々しく愛憎をぶつけ合う。

傷を癒して欲しい者達同士で愛し合えず、憎しみ合う。

 

 

父も母も、幼少期の境遇は複雑で愛に満ちた環境には囲まれなかった苦労人だ。

 

ある意味、みんながみんな、心に傷を深く負っている者たちの集合体。

 

 

だから親は「宗教」に救いを求めたのだろうと思う。

 

 

私の場合の家族とは「宗教」の問題も絡んでくるから、そこの「思想」の問題も余計に話をややこしくする。

 

 

 

 

続く