毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ㉑

自分を大切に育んでいく

 

もしも、幼少期からの劣等感や自己否定感が強くて自分を大切に思えないのなら、時間をたっぷりかけて育んであげるといい。

 

「育つ」のは子供だけではない。

 

それをしてあげられるのは自分だ。

 

人間である以上、誰かに愛を貰いたくなるのも仕方ないことなのだけれど、最終的に自分を大切にしてあげられるのは自分しかいないから。

 

何歳になったってきっと、人間はいつまでも成長し続ける。

 

それは、ただただ上に伸びていくだけの成長、ということでなく。

 

気づきなどを重ねながら、いつまでも人間は変化が可能な生き物、という意味だ。

 

 

幼少期の頃から学生時代はどうしても「親」や「家族」の影響が強くなる。

 

経済的に自立しないと支配下から完全に逃れることは難しい。

 

大人になって経済力を身に付けることが出来れば、親や家族から自立することが現実的に可能になる。

 

経済的な自由が増えるほど「自分」にかけてあげられる時間、お金も確保しやすくなる。

 

だから、現実的な話をしてしまえば家族から離れて暮らす何かしらの力を身に付けることは重要なことだ。

 

否定癖の強い人達と同じ空間を共有しているだけで人は簡単に否定に洗脳されやすい生き物だ。

 

その洗脳を溶いていくことは時間や労力がかかる事だけど、その先にあるのはかけがえのない自由、そして等身大の自分だ。

 

 

子供の頃に育てられた過程で培った良きも悪しきも、まるっと全てひっくるめて「愛おしい自分だ」と思えたら、それだけでこの世に生まれてきた価値がある。

 

欠陥も沢山ある自分。

他人の事はよく見えるけれど、きっと人間なんて大体凸凹だらけなはずだ。

 

外には見せない、見えないだけで、完璧そうに見えるあの人だって、内側には色んなものを抱えていたりするんだろう。

 

しぬまでずっと、人間は何かに悩んだり、躓いたり、誰かに怒ったり、その繰り返しだ。

 

嫌な事だってあるけど、嫌な事ばかりでもない。

嫌なヤツに出会うことはあるけど、嫌なヤツばかりでもない。

 

誰かを通して、自分のいろいろな面に気づく。

 

誰かを通して、知らぬ間に成長させられている。

 

人と関わることで、良くも悪しきも全てひっくるめて、自分という人間、誰かという人間を理解していく。

 

何歳になったって、ずっとその繰り返しだ。

 

人と関わることを諦めなければ。

 

そして自分も人も「育む」ことをしぬまで諦めなければ。

 

 

「自分を大切にすること」を具体的に地道に遂行していきながら、同時に人の事も大切に出来たら、もしかしたら天に召されるその時に、素晴らしい人生だったと言えるのかもしれない。

 

 

自分を大切にすることについてもう少し具体的に掘り下げて改めて考えてみようと思う。

 

 

 

 

続く