毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ㉒

自分を大切にするとは? ~肌荒れと人生の相関関係~

 

「自分を愛する、自分を大切にする」という抽象的な表現をもう少し具体的に考えてみる。

 

「~する」は英語では「do」である。日本語でも英語でも「動」の表現だ。

そこから連想するのは「何かをしなければその状態にならない」ことだ。

 

実際にはそういう動的なアクションももちろんあるけれど、その前段階として重要なのが「静」の方なのだと思う。

 

「静」というのは「動」の対極である。

 

具体的には「~しない」ことだ。

 

苦しい時ほど、焦っている時ほど、人はついつい何かをつかみ取ろうと必死で行動してしまう。

 

「溺れる者は藁をもつかむ」とはよくいったもので。

 

 

若い頃に肌荒れが突然酷くなった時期があった。

 

後から思えばきっとストレスが一番の原因だったのだと思うけれど、その当時は表面の現象だけを見て治すことに必死だった。

 

化粧品やら皮膚科やらありとあらゆる方法を試し情報を色々と取り入れ、毎日そこを治すことばかりに囚われていて、それが更なるストレスを産んでいた。

 

精神も経済もそこに注ぎ込まれている割には何をやっても治らず、気にすればするほどストレスで悪化するのかもしれないと薄々思い始めていた。

 

対処療法ではダメかもしれないと、食事や睡眠やストレスなどの根本的治癒の方に目を向け始め、そこで「精神的ストレス」は外見にも表れることを身を持って知った。

 

どうせ何をやっても現象がすぐ消えるわけではないのなら、いっそのこと「気にしない」ように生活をしていたら、不思議なものであんなに酷かった肌荒れが自然とゆっくり治っていった。

 

 

「ホクロは数えると増える」とよく言われている。

 

迷信なのか何なのかは知らんし科学的根拠は何もないが、その言葉には肌荒れも人生にも似たようなところがあるような気がする。

 

 

「~しない」というのは一見消極的なスタンスに聞こえるけれど、実はそれこそが肝心なんじゃないかと思う。

 

アクションらしいアクションではない事、目に見えて分かりやすい行動ではないものの大切さ。

 

身体がSOSを出している時点で既に何かしらのストレスは限界に来ていたという事なのだろうから、そこから更にアクションを起こして戦う姿勢になってしまったら「静」になれる暇がない。

 

必死でSOSを出した心身を更にしばくなんて。なんてスパルタ、ブラック企業のようなハラスメントじゃないか。そんな持ち主(自分)にあたった身体は哀れだ。

 

 

日中に活動できるのは夜にぐっすり眠れているからだ。

 

「静」の時間があるから「動」の時間に大いに活発な動きが出来る。

 

身体と同じく、心にも休息は必須だ。

 

疲れすぎてしまった心を癒すには、「何もしない」時間が必要だ。

 

寝られる時間は何も「考えていない」

 

一人でゆっくり過ごせる時間は誰かに「気を遣っていない」

 

気の合う誰かと大笑いしている時間は気の合わない誰かによって「神経を消耗させられていない」

 

好きなことに集中している時間は「嫌いなことをしていない」

 

 

逆に、何かに囚われ何かにずっとフォーカスしてしまっている時は、肌荒れやホクロのようにその悩み事が消えることがないのではないかと思う。

 

人付き合いにしても、自分の大嫌いな誰かの癖に支配されて囚われてしまっている時というのはなぜか肌荒れやホクロのように沼にハマっていきやすい気がする。

 

ホクロと人間関係をこじつけるのは大げさかもしれないけれど。

 

 

だから、「~する」=「~しなきゃ」となってしまうとちょっと泥沼に陥りやすいんじゃないかと思っている。

 

「自分を愛する」「自分を大切にする」ことが何なのかが具体的によくわからなくて、活力も気力も失われていて前向きに行動できない状態の時には

 

積極的に何かを「する」ことではなく、消極的に何かを「しない」ことを考えてみた方が、回復までの道のりが遠回りのように見えて案外と近道なのかもしれない。

 

消極的でネガティブだとしてもいいから「~しない」と決めて自分を労わってあげる。

ポジティブかネガティブか、なんて考えなくていいし、言い方、捉え方一つだったりする。

 

空っぽになってしまうような気がしても、世の中から置いていかれるような気がしても。

生きている限り空っぽにはならないし自分次第でリカバリーはできる。

 

いろんな回り道があったって、失敗だと思ったって、いつだって常に今が最善で天は見守っていてくれるはずだから大丈夫だ。

 

気の済むまで「静」に浸っていたら、自分らしい「do」のエネルギーは不思議と自然と湧いてくるものだから。

 

 

 

 

続く