許すこと、とは何なのかを考えさせられたこと ~中編~ 

誰のための言葉なの

 

話を少し戻すと、謝らずにそこまで言い張るのならば、筋を通してほしい気持ちもあった。

 

時には、近い関係性ほど耳の痛い事を言うことが必要な時もある。

「お互いのために」そうせざるを得ない時もあるから。

 

厳しい言葉でもそれがよかったかどうか、は相手が後々判断すること。

 

もし、私を本気で思って厳しいことを言ってくれたのだとしたら。

私には耳が痛い言葉ですぐ素直に聞けなかったとしても、後々、あぁ…そうだったかも…と感謝に変わる事だってあるかもしれない。

 

そこまで筋を通せるほどの本気を込めた言葉でも何でもないのなら、その言葉は私が感じた通り「単なる意地悪」と認めてしまうことになる。

 

認めてしまったら友情はきっと本当に壊れてしまう。そんな不信感も願わくば消し去りたかった。

 

 

「耳が痛い言葉」というのは、伝え方がとてもデリケートで難しい。

 

面と向かってうまく相手に伝えるには高度なコミュニケーション力や人間力か、相当な信頼関係が必要とされるものだ。

もちろんタイミングにもかなり左右されるだろう。

 

私は部下指導の責任がある時ですら、失敗の連続だった。

伝え方もタイミングも配慮に欠けていたからたとえ嫌われていたとしてもそれも当然の結果だろうと思う。

 

それでもメンタルが保てていたのはきっと、仕事だから仕方ないと割り切れていたこと。

友達でもないし、途中から好かれるのは無理だと諦めて開き直っていたところもあった。

思い返すとなかなか嫌なヤツだけど。

 

そういう失敗もあるから尚更、責任のないプライベートの友人関係でお互い大人になってまで、相手に向かって耳の痛い言葉を言う機会なんてそうそうないと思っていた。

 

お互いに大人になればある程度精神的にも自立しているものだけど、その当時の親友との付き合いは密になりすぎてお互い距離感を見失っていたのかもしれない。

 

精神的に弱っていたこともあって、私もけっこう親友に依存しすぎていた部分もあった。

 

当時はお互いにまだ若かった事もあるし、振り返ってみればきっと私だけではなく、友人も何かと余裕のない時期だったのかもしれない。

 

悩みも色々相談し合っていたが、お互いに余裕もなければ聞き流してあげられるところを聞き流せなかったり、苛立ちもぶつけてしまいがちだ。

 

失言は誰にでもあるし、メールのやり取りだったから言葉のニュアンスは伝わりにくい。

 

そのあとの相手の心情をちゃんと理解できれば、もしかしたら許せることも出来たかもしれない。

 

だいぶ時間が経って年齢も重ねた今ならそう思えるけれど、とても当時はそんな風に思えなくて、残念ながらそのまま疎遠になってしまった。

 

 

 

「許せ」は人を辛くさせる

 

その友人との付き合いは長かったし、出来ることなら私も許したいし水に流したかった。

 

もしかしたら酒でも飲んで酔っ払い半分で失言してしまったのかもしれない、とも思った。

 

いつもシラフで語り合える仲だった。

 

シラフの時は常識人だが酒癖があんまりよくない可能性もある人だったから、そう思えば納得は出来る。

 

でも、それもひっくるめてその人の本性だという事なのかもしれない。

 

付き合いが長いからといって相手の全てを知っているわけではない。

 

それならば潔く「ごめん、口が滑った」とか「ごめん、酔っ払ってた」とか言ってくれた方がまだよかった。

 

そう言われたから許せたかどうかは分からないけれど、少なくともそれ以上複雑な怒りが増すことは避けられた。

 

どちらにしてもその発言以降に気まずい溝は出来てしまうかもしれないし、何となく自分の気持ちは離れてしまう可能性だってあるけど。

 

でも、時間はかかっても感情が収まれば水に流せていたかもしれない。

 

 

人の多少の過ちにはお互いに寛大でありたいけれど、寛大さを相手に求める時には気をつけたい。

 

「ごめん」という誠意を見せられた後に「許す」かどうかを決める自由や、考える時間が与えられていた方が、もしかしたら人は許しやすくなるのかもしれない。

 

たとえちょっとした言葉の綾だったとしても「許せ」「流せ」と領域を超えて侵害されると、許しにくくなってしまうのかもしれない。

 

それって結局相手をコントロールして、水に流せない相手を責めている事だから。

 

「許せない自分」「流せない自分」の器が小さい、と二重に苦しんでしまうし、傷ついているところに更に追い打ちをかけるだけだ。

 

「そんな些細な事すら流せないのか」っていうのは自分本位の欲求であって、相手への誠意や思いやりや優しさではない。

その人は「許さない相手を許していない」ということだ。

 

厳しい言い方をしてしまえば、相手の自由意思を尊重する器がないということだし、辛辣な事を言っておきながら嫌われる覚悟もないということ。

 

そんな関係を、無理に自分を押し殺してまで不健全に続ける必要はないのだと思う。

 

たとえ家族だろうと親友だろうと、相手のことを否定、支配するようになっている時点で関係はすでに壊れている。

 

信頼を築くには長い時間がかかるが、失うのはわりと一瞬だ。

 

意図的にせよ、失言にせよ、普段から全く思っていない事は口には出てこない。

 

口から出た言葉は自分の責任だが、その言葉の解釈はもう自分の管理下ではどうにもならない。

 

 

 

 

 

後編へ続く