毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑲

優しさも、冷たさも、循環している

 

地球の生態系は、循環だ。

 

私達人間はこの世に生まれ、気づけば人間社会の中で人間として生きているけれど、誰もがいつかはその生が終わる。

 

人間の神秘というのは考えれば考えるほど謎だらけであり、コントロールの及ばない神秘の領域は「神」と呼ばれたりする。

 

その真実は知る由もないけれど、大いなる何かの力によって生態系の循環の中で自然の一部として生かされていることは確かだ。

 

考えて答えの出ることについては考えることも必要だが、

考えても仕方ないことは考えない、というのも健全に生きる上では大事なことだ。

 

 

毒親毒親たる理由については、ある程度考えれば現実的に原因のようなものは探し出せたりする。

 

毒親もまた、幼少期から過酷な試練を与えられた中で何とか生き延びていたりするから、毒親の子供の頃やそのまた親である祖父母や、そのまた親である先祖までさかのぼって延々と辿っていくことになる。

 

が、祖父母以上になってくるとリアルに知ることが難しくなってきて、だんだん現実味が薄れてきて事実もよく分からなくなってきたりする。

 

そもそも時代背景も今とは全く違ってきてしまうから、同じ土俵で比較することすら遡るほどに難しくなってくる。

 

その時代の影響を強く受けて育まれる、世代による価値観の傾向というのもある程度はあるだろう。

 

 

昔ほど「家族」「親戚」の付き合いは生きる上で優先順位は高くなくなってきている。

 

だがきっといつの時代であっても「家族」は味方として上手く機能していれば、心強いものであり、自分を助けてくれたり励ましてくれたり、頑張る源になったりするのだと思う。

 

だが、上手く機能していないとそれは「影」となり「闇」となり、そのドス黒い感情を放置しているとその行き場のない感情は暴れ、心身を蝕んでいってしまう。

 

だがその影も闇も、それすらも自然のサイクルの一部だ。

 

毎日当たり前のように昼と夜がある。

 

樹木の上から太陽が当たればその樹木に隠れた地面に影が出来るのも当然だ。

 

自然から教わる、私たち人間が大切にすべきことは決して「影」や「闇」を忌み嫌って避けることではなく、自然と同じく「バランスや距離を適切に保つこと」なんじゃないかと思う。

 

 

人というのは、基本的にあまり考えずに生きているとどうしても楽な方に流されていってしまいがちだ。

 

そして人というのは、基本的に自分がされたことは考えなしに人にしてしまいやすいという性質がある。

 

冷たく育てられた人は、人に冷たくしてしまいがちだ。

 

愛情豊かに優しく育てられた人は、自然と人に優しくできる。

 

余裕のない暮らしは、余裕のない言動に表れる。

 

見下す親に育てられた人は、人を見下してしまいやすい。

 

そうして人もまた循環していく生き物だ。

 

 

考えなし、というのはある意味「無意識」の領域であり自覚に乏しい感情や気持ちのことだ。

 

だが、何かのきっかけで案外それは「無意識」ではなかったりすることに気づく人もいたりする。

 

気付ける時というのはある意味「自分にも厳しい」目線を持てる時。

 

そのきっかけというのは大体においてネガティブな何かしらの出来事だったりする。

 

厳しい目線を持って「見たくない自分の醜さと向き合う」という作業はなかなかしんどくハードでもある。

出来ればそんなものには蓋をしてみたり、目を背けて逃げてしまいたくもなるのも人間だ。

 

自分に対してある程度厳しい目線を注げるということは、負の連鎖を断ち切ることのできる強さも持ち合わせているという事でもある。

 

 

だから、ネガティブな出来事というのはそういう意味ではチャンスでもある。

 

とはいえ、起きることの全てをそんな風に頭で考えて意味づけしなくてもいいけれど。

 

スパルタすぎると「責める」こととも紙一重になりやすいから注意も必要だ。

 

自分を責め続けないようにするために大切なことは、意味づけの前にまずドス黒い自分の感情にも寄り添うことだ。

 

臭いものに蓋をしたまま無理やり抑えつけると、どんなに隠したつもりでもどこからかふと腐敗臭が漏れ出てしまう。

 

自分の弱さ、醜さから目を背けるのではなく、弱さも醜さもそのままに存在する生身の自分を認めることは自分と人を守るためにも大切なことだ。

 

 

理想は、自分にも、人にも、「優しく」だ。

 

 

世の中は循環だ。

 

優しさを循環させられる人であるためには、時に自分に厳しい目線を持つ強さも必要だ。

耳が痛いけれど、がんばろう。

 

 

 

 

続く

 

 

 

カオスでグレーなロスジェネ世代

 

時代は常に変化、進化している。

 

時代と共に人間の価値観も進化するし多様化するが

人間には、世代によって若干傾向のようなものがある。

 

私たち氷河期世代(ロスジェネも含む)は、昭和の匂いも根強く残っている世代だ。

 

一回り上の元気なバブル世代。

親世代は高度経済成長期のモーレツサラリーマン。

祖父母世代は戦争経験者。

 

 

「24時間戦えますか→YES」が正解とされる世代に育てられた。

 

パワハラ」なんて言葉も今ほど浸透していなく、我慢するのが「美徳」という戦時中みたいな考え方が根強くスポ根が幅をきかせていた。

 

「国のために」戦い「強い国」を作り上げてきた上の世代のお陰で、生活はだいぶ豊かになった。

 

豊かになっていく過程でバブルが崩壊し、時代と共に物質的な豊かさが飽和状態になっていく国の中で、どこに向かっていったらいいのか分からない世代でもある。

 

ロスジェネと言われる所以だろう。

 

みんなが一つの方向を向いて戦っていくことで、必ずしもみんなが「勝つ」「よくなる」「豊かになる」というわけではない。

右肩上がりの成長神話は、成長期の学生時代に壊されてきた。

 

「当たり前」とされてきたこと、上の世代から教えられてきた価値観や成功法則はことごとく時代の変化でぶち壊されていく。

下の世代はどんどん新しい価値観を創っていく。

 

その狭間で旧態依然の価値観にしがみついていても、時代は確実に変化している。

 

受けてきた教育と、自分の目の前の現実とのギャップに戸惑いながら不安を抱えて生きている人も多いのではないかと思う。

 

子供の頃に感じていた、昭和の高度成長期の匂いを感じるあの何とも言えない明るい世の中の空気。

 

思春期の頃に感じていた、今ほど規制のないエンタメのゴリゴリな元気なムード。

 

あの頃の明るさを懐かしむ気持ちと共に年齢を重ねている中年も多いのではないだろうか。

 

社会人として働くことも考えなければならない年頃には、エンタメの活発な明るさとは裏腹に景気は悪化していて、まさに時代は「氷河期」だった。

 

経済、雇用の冷たさ、厳しさと同時に、「心」に響くエンタメの世界や、「日本以外の国」は元気で活発で輝いて見えていた。

精神面で言えば、そんな元気で明るい世界の強さに支えられてきた世代だとも思う。

 

就職せず(うまくできずに)にフリーターになる人も多く、義務教育が終わってからのその行き先は様々だった。

 

海外に出る人、フリーターを続ける人、大卒でも資格のためにさらに専門学校で武器を身に付ける人、「手に職」を磨く人。

 

 

学生を卒業して大人になるほどに、成長の段階として人は自然と「みんなで一緒に」同じ方向を進むことは少なくなってくるけれど、

ちょうど時代の価値観もリンクしていて、全体的にも今は個人的な志向が尊重されてきて多様化が進んでいる。

 

中年に差し掛かり中堅となった氷河期世代の生き方は、上の世代ほど分かりやすく一定ではない。

 

右肩上がりを信じて疑わない一つ上以上の世代から教えられてきたことは「幻想かもしれない」と早々と気づいて、古い価値観を壊していったり新たな価値観を作り上げている人。

 

右肩上がりを信じていた昭和の価値観を踏襲しつつ、「勝ち」を諦めず「守り」に入りつつもバリバリ突き進んでいる人。

 

時代の変化に対して無力感を感じつつ「諦観」で生きている人。

 

同じ氷河期世代でも価値観は様々だ。

 

 

「男」「女」の役割も上の世代、下の世代ほど明確に分かりやすくない。

 

たとえば「ご飯代は男が出すのが当然」な昭和の価値観と、「ご飯代は割り勘が当然」な平成の価値観が混在している世代だったりする。

 

「働くこと」においても、「男が稼いで当然」と「女も稼いで当然」の昭和と平成の価値観が混在し、せめぎ合っている。

 

「車」「家」など生活にまつわる「経済」の価値観も然り。

 

 

ロスジェネ世代は「カオス(混沌)」の象徴なのかもしれない。

 

「失われた世代」という表現もやや分かりにくい。

ハッキリした色を持たないグラデーションのような。

 

 

コントラストの強い「白」よりも「黒」よりも、曖昧な「灰色」が合う世代なのかもしれない。

 

 

「灰色」は無彩色の中でも、白・黒より地味で曖昧だ。

 

有彩色のような鮮やかな明るさはないが、奥が深い色でもある。

 

江戸時代に「奢侈禁止令」というのが引かれ庶民は派手な色の着用を禁止され、「茶」「藍」「鼠」のみ着用を許された。

 

そんな制限された環境下の中でも人々は、繊細かつ微妙な色の変化を発掘していき、日々のおしゃれの楽しみにした。

 

茶系統と並んで鼠系統の色名が次々と誕生した。

 

「茶」「鼠」だけでも100以上の微妙なグラデーションがあり、その語呂の良さから「四十八茶百鼠」と名付けられた。

 

 

そのくらい、一口に同じ「グレー」といっても多種多様であり、繊細さや微妙さは活かし方次第で「粋」になる。

 

その上で使う鮮やかな色彩(有彩色)はアクセントとなり、そのベースカラーとなる無彩色もより映える。

 

調和がとれるとお互いを活かしあえる。

 

 

失われた世代は、経済的にも社会的にも損失が多いといわれる。

 

だが、無いものを嘆いて求めるばかりでなく、有るものを活かすことで、損失の多いつまらない灰色の世界をも活かすことが出来るのかもしれない。

 

 

 

 

終わり

 

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑱

毒を認め、毒を愛する

 

冷たい気持ちにさせる家族の嫌な出来事は、完全に記憶から消え去ることはきっと無いだろうと思う。

 

親やきょうだいの嫌なところ(自分が絡んで被害を被ると付き合いきれないところ)は反面教師だ。

 

自分が家族から離れる段階で、自分の一部(の人格)を強烈に嫌えば嫌うほど、私は自分と人を強烈に責めてきた。

 

そのせいで、その時期は暗黒の思い出が圧倒的に多い。

 

常にどこか苦しくて重たくて、誰かに分かってほしいのに心を閉ざしていて、だから強烈な闇を分かってくれそうな精神世界のセミナーに依存しかけたりした。

 

自分を許す、人を許す、の意味が腑に落ちなくて色々なところを彷徨った。

 

出会う人出会う人(というより心が反応して関わってしまう人)、次から次へなぜか似たようなタイプの人が多くて、それは同じように強烈に自分を責めて人を責めているような、自分と人を傷つけている人達だった。

 

そんな日々の繰り返しで心身共にボロボロになりながら、その暗黒の冷たい世界から抜け出すには、嫌でも自分や家族の闇と向き合わざるを得なかった。

 

 

もちろん今も、生きている限りは色々なことが日々起きるわけで、嫌な気持ちになることもあるし、なんだかなーと憂鬱になることもある。

 

 

だいぶ時間も経って、あれだけのバトルや辛いことを経ても、何度も似たようなことを繰り返してしまう家族との距離の取り方や、自分との付き合い方も、あの時よりは分かるようになってきた。

 

今でも親や家族を純粋に「好き」と言えるかというときっと「NO」だ。

 

でも、「嫌い」かと言われたら意外と以前ほど「YES」というわけでもない。

 

その一番のワケはきっと、自分を大事にするためにコツコツと日々取り組んできたことの成果なのかもしれないとも思う。

 

何年もかけて「自分を愛すること、許すこと」に地道に取り組んできた。今もその途中だ。

というよりきっとこれは一生をかけて取り組む課題だと思っている。

 

意識しだした最初の頃は、何をしたら許せるのかも分からないし、何をしたら愛せるのかも分からなくて、様々な方法論(手段)を試してみたりした。

 

世の中的にも(心理学や精神世界の界隈的に)ご自愛的なムードが高まっていたし、私もそういうものを片っ端から読み漁っていたりした。

 

参考にさせてもらえたこともあるし、自分には全然しっくりこなくて冷めた目で見ていたものもある。

 

そこは「いいか悪いか」の正誤ではなく「自分に合うか合わないか」で感覚的に判断していいんだと思う。

 

目的はそれが正しいか、ではなくてあくまでも「自分を許す、愛する」ためだから。

 

その手段については人それぞれでいいけれど、性別女子として私のお勧めの方法などはまた別の機会に書こうと思う。

 

 

そして、不思議なことに「自分を許す、愛せる」ことが少しずつ腑に落ちてくると、周りの環境も少しずつ変化がみられてきた。

 

それは別に魔法のように目の前の人物が豹変して善人ばかりになる、とかそういう事ではない。

 

自分をがんじがらめに縛り付けていた見えない鎖のようなものがほぐれていくような感覚だ。

苦しい、重たい、という呪縛を解いていくような。

 

自分を許せることが増えてくると、人に対しても前ほど責める気持ちがやわらいでくる。

 

家族と別の「自分としての人格」でちゃんと社会の中で生きるようになってくると、「自分が自分であること」に少し誇りを持てるようになってくる。

 

そして、その「自分」というのは紛れもなく「親」や「きょうだい」から影響を受けてきた自分でもある。

 

まっさらに別の人格になりたいと何度も願って試してみたりしたけれど、やはり根本的な「核」は変わらないのだな、と思う。

 

一人の人間なので当然、親やきょうだい達と「別の人格」ではあるのだけれど、どこかで「似たような人格」をも持っている自分の存在にも気づく。

 

散々「毒」と書いていつつ、そんな自分の中にも「毒」はあることも知っている。

 

それは、知っているから同じように人に連鎖してもOKという「許し」とはまた別の感覚だ。

 

うまく言葉だけでは伝えられないけれど、誰が悪いわけではなく、みんな苦しい日々を生きているという「同情」にも似た気持ちで家族のことを見られるようになってくる。

 

でも「許して密に付き合い続けること」が必ずしも正解ではないから、「許す、愛する」ことと、「付き合い続ける」ことを一緒に考えない方がいいのだと私は思う。

 

 

 

 

続く

 

 

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑰

あなたも過去を水に流せるかい?

 

父が他界してまもなく、きょうだいから「今までのことは水に流そう」と言われたことがあった。

 

その言葉は、半分共感できて、半分共感できなかった。

 

共感できないのは「なんかしっくり受け入れられんわ」だった。

 

 

(「許す」ことの難しさについては別のブログに書いています)

grijio.hatenablog.com

 

 

半分共感できる方の気持ちとしては

きょうだいもある意味で毒親育ちの被害者であるからだ。

 

だからといって下手な同情は禁物なのだけど。

 

 

付き合いの期間や密度によっても「どこまで一線を超えたら相手を許せるのか」というのは違ってくる。

自分の許容範囲はその時その人で関係性によるということだ。

 

付き合いの浅い他人だったらあり得ない事でも、長く一つ同じ屋根の下で愛憎劇に揉まれてきている家族だと感覚が狂ってしまっていたのもあると思う。

 

 

だから「水に流す」という表現がそこまでピンとこなかった。

 

流せるか流せないか、まで考えられるほど時は経っていない時点で余裕のない状態だったということもあるかもしれない。

 

エス、ノーで即座に答えが出せるほど簡単なことではない気がする。

 

 

自分と人を同等な存在として大事に考えたなら、きっとそれはごく自然な感情だ。

 

関係修復をしたくても、相手と自分の気持ちの折り合いをどこでつけていくのかを探っていく時間は必要だろう。

 

機械のリセットボタンではないので、要求を示すボタンを片方が押したからといってもちろんその後の関係が自動的に修復されることが成立するわけではない。

 

 

逆に考えると、なぜそんなことを軽々しく言えてしまうのだろうか。

 

自分は大してダメージを負っていない時でないと、もしくは相手を軽んじている時でないと、そういう言葉は出ないんじゃないかなと私は思ってしまう。

 

それは私の感覚だから相手はまた違う言い分があるのかもしれないけど。

 

でももし逆の立場だったら、そんな事を言おうものなら怒り狂って殴りかかってくるかもしれないのに、とも思う。

 

きっと、母やきょうだいの信仰している宗教の教えの影響も関係しているのだと思う。

 

 

母ときょうだいの信仰している教団の教えに

「恨みつらみも持ち続けていては平和とは程遠い世界である。人間の過ちは全て祈りで消し去ることが出来る」というものがある。

 

だから、母もよく「そんな過去の話をいつまで引きずっているのだ」「まだそんなことを言っているのか」「全て消えていく業なのだから」「全ては‘今‘が大切」と口癖のように言い、全てを抹殺するかのようにすぐにお祈りを始める。

 

 

そして自分達の数々の言動は、自分達に都合のよい風にリセットボタンで消し去られる。

 

 

そのわりには、母もきょうだいもそれぞれ別に、ずっと根に持っているそれぞれの親類問題や対人関係については、ごく普通に執念深く恨みつらみを引きずっていたりする。

 

そこのリセットボタンについてはどうやら壊れているらしい。

 

 

人って所詮そんなもんじゃ?と思ってしまう所以もこういうところにある。

 

何十年もそんな姿を見てきて感じるのだが、シンプルに「感情」にちゃんと寄り添ってあげる事をせずに綺麗事で抑えつけようとすると、物事がとっても複雑に絡まっていってしまう気がする。

 

教団には申し訳ないが、平和とは程遠い説得力のない信者達だと思っている。

 

同じ御教えでも解釈する人により様々だと思うしまた違う信者さん達もいると思うので、教団や宗教自体を非難したいわけではない。

 

うちの母の姿を見ていると、なんというかとっても囚われて息苦しくて、自分と周りの首を絞めている感じがするのだ。

人間てもっと「人間」らしく泥臭くて自然でいいんじゃないかと私は思う。

 

 

だが、向こうから見るとそういう私は物事を単純に考えられない人間で複雑にすると思っているらしい。

 

簡単にリセットボタンで消せたらどんなに楽か、その難しさも自分達でよく分かってるんじゃないでしょうか、と思う。

 

人って自分がされたことはよく覚えているけど、した方は案外覚えていないものだ。

 

そのリセットボタンを使えるのなら、自分がした事だけでなくて、されたことも消した方が楽になれるわけなのに。

 

自分達にとって都合の悪い事だけ、相手に「消す」ことを要求するって、そもそも人としてどうなんだろうと思ってしまう。

 

そんな魔法みたいなリセットボタンがほんとうに存在してしまったら、この世は平和になるのだろうか。

 

人の心の機微はどこへ行ってしまうのだろうか。

 

その時にその世界に存在しているのはもはや人間ではなく、簡単にリセットボタンで記憶を消去できる心のないロボット達なのかもしれない。

 

そんな世界は怖くて住みたいと私は思わない。

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑯

心の豊かさを説く宗教に振り回されると心が貧しくなってしまう

 

 

リーダーシップを取れる存在(父)が倒れて、残された者同士でどうにかしなけばならないのに。

 

母の宗教絡みの思想にまつわる拘りも強すぎるゆえ、一般的な考えの他人には頼れない。

 

だから助けてくれるはずのお医者様や看護師さん、ヘルパーさん達をことごとく「敵」扱いし排除していった。

 

宗教の、遠くに住んでいる師匠みたいな人の指示を電話で仰いでいたり、同じ思想の信者さん同士の考えしか受け付けない。

 

医療については素人なのに、近くにいる医療のプロの意見に真向から反対する。

 

命という大切なものを目の前に、自分達の意思をきちんと表明することは必要なことだと思う。

 

たとえプロといえど、何でも相手の言いなりになればいいわけではない。

 

だが、仮に発達障害という点を考慮したとしてもその接し方は歓迎すべきものではない。

 

何でもかんでも無闇に反社会的な陰謀論みたいなものを支持したがる。

 

根拠が、エビデンスが、といかにも学術的な風に唱えてはいるけれど

 

そういう姿を見る度に、一体何様なのだろうと私は思ってしまう。

 

確かにそういう一面がこの世の中にはあるのかもしれない。

この世の真実なんて私にはわからないけれど。

 

だけど、別にみんな自分達をころそうと企んで悪さを仕掛けてくる敵ではない。

 

上の方の人達については知る由もないけれど、少なくとも一般社会に生きる善良な人たちは、善意で一生懸命目の前の仕事をしてくれている人が殆どだ。

中にはそうでない輩もいるのだろうが、きっとそんなのごくごく一部であって。

 

 

むしろ心強い「味方」なのに。

 

そんな事をしていたら余計に自分たちの首を絞めて苦しくなるのに。

 

でも、そういうお人好しで呑気な考え方は、「そっちより」の思想の人達からみたら「思考停止で上の言いなりになっている、目覚めていないバカな人間共」なのだ。

 

だから、そういう呑気にみえる私の思想について、一段と蔑んでバカにしてきたのだろうと思う。

 

 

家でも病室でもところ構わず「敵」とみなした相手に徹底抗戦を仕掛ける家族の姿は醜くて大嫌いだった。

 

その家族すらも、助け合うどころでなくお互いに罵り合い、ストレスの捌け口として他人には見せられないところで、一番他人の考えに近い憎らしい私を利用したのだろうけど。

 

他人の「善意」を「厚意」と受け取れないような心の貧しさを説くのが宗教のあるべき姿なのか?

 

きっと教祖はそんな事を望んでいない(はず)。

 

そして、言葉も話せなくなってしまった父も病床で辛かっただろうと思う。

 

「神」がいるとしたならば、神様はそんなに狭量ではないと私は思っている。

 

 

そしてそんな毒母や毒きょうだい達も、自分達の思想に絡むことのない「無害な他人」にはふつうに愛想がよいし、綺麗事を並べ立てることも得意だ。

 

だから、何も知らない他人から見たらそんな事が起こっているなんて分からないだろう。

 

 

 

 

続く

 

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑮

きょうだいは他人の始まり

 

仲間外れ、ってされたら誰でも嫌なものだ。

 

私は家族間でも幼少期には分かりやすくそういうことはされなかったと記憶している。

 

きょうだいのうちの一人は私に対して小さい頃から常にアタリがキツかったが、

どちらかというとただ一人暴走している感じだった。

 

本人が激しい気性の持ち主で自己主張も強く、周りの大人も手を焼いてしまうようなタイプだったので仕方ないな・・くらいの感じだったのだろうと思う。

 

 

家族の構図が明確に変化していったのはそれぞれ独立してからだ。

 

幼少期から元々気質や性格の違いや相性もあったけれど、大人になってからはおそらく「属性」の違いも手伝って、余計に溝が深まっていったのだと思う。

 

「属性」というのは家族構成や住居や職業、そしてそれにまつわる経済面、生活スタイルや考え方、価値観だ。

 

それに加えて「思想(宗教絡み)」という大きな問題もある。

 

 

元々同じ屋根の下で同じ親に育てられていたから当然のように似たような価値観同士で仲良くしやすいのがきょうだいなのだけれど

 

成長するにつれ少しづつ、その重なる部分が色々違っていき、どんどん遠くなっていってしまった。

 

 

きっとそれは、子供が独立すればどの家にも起こる自然なことでもあるのだろうけれど。

 

そこの「違い」をお互いに当然のように受け入れてずっと仲良くやっていけるきょうだいもいるのだろう。

 

 

私の場合はその違いを責められることが多くなっていった。

 

でもたとえその「違い」があってたとしても、おそらくきょうだい同士「だけ」だったら意外とそれなりに、薄く浅く、仲良くもないが特別仲悪くもない程度のアッサリした付き合いをしていけたかもしれない。

 

その「違い」を明快に言葉や態度に表し、薄いながらも繋がっていたきょうだいの絆すらをぶった切って更にバラバラに分けた主犯格は「母」なのだが。

 

 

おそらく、そんな母に負けないくらい別の人格として明確な強い意思をそれぞれが持っていて「いい方向に」うまく結託出来れば、きょうだい同士でそんなに酷く憎しみ合うことにはならないのかもしれない。

 

私も含めみんな我が強いところがあるけれど、それがよくない方向に行ってしまうと最悪だ。

 

揉めに揉め、傷つけあって憎しみ合って壮絶なバトルを繰り返していた頃に、きょうだい達に「母が絡むと話が複雑になるのできょうだいだけで話し合わないか」という疑問を呈したことがあった。

 

だがそんな提案など聞くものか、という憎しみに満ちた罵声と共に却下された。

 

その時にはすでに、私が孤立する構図になっていっていた。

 

当時病床に伏せていた父の病室に見舞いに行けば、私を除いた家族たちで旅行した時の写真が飾ってあったり。

 

家や土地の売却という大きすぎる話までも私の知らないところで秘密裏に進めていたり。

 

よかれと思ってこちらがやる事は否定されたり蔑まれたりと、それはもう分かりやすく「イジメ」だった。

 

 

 

 

続く

 

 

 

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑭

心の世界のサバイバルスキル

 

サバイバル - Wikipedia

たとえば爆発事故などの場合は、一般論としては、まず爆発している物からできるだけ遠ざかる、逃げるということが最優先のことになる。(爆発事故の場合は、とりあえず逃げることが先決であり、とりあえず他のことは考えなくてよい。)

 

古来から人間は「生き延びるために」移動する生き物だ。

 

今だって動物たちは当たり前のように「生き延びるために」逃げる、移動する、を繰り返して生きている。

 

 

平和な国に生きていると直接的に命を取られることはそうそうないので見過ごしてしまいがちだが

 

「身体は無事でも心は負傷する」事はそこら中でしょっちゅう起きているだろう。

 

心や精神の世界は目に見えないので「なんてことないように」見えてしまうという

騙されやすい世界でもある。

 

可視化したら恐らくホラー映画のように血だらけ傷だらけのゾンビみたいな人間がそこら中にウヨウヨいるのではないかと思う。

 

平和な国日本でも心の世界は「超サバイバル」だったりする。

 

映画のように突然ヒーローが救いにきてくれて「悪党を倒し」全てハッピーエンドになるわけではないのがリアルな人生だ。

 

そのためには、自分を生かすため、守るための最善策をとる「心のサバイバルスキル」も必要になってくる。

 

 

「置かれている環境」の影響って、思っている以上に精神的に大きく影響しているものだ。

 

そこにいる時は気づけないこと(無意識)が、離れてから気づけたり(意識)。

 

「環境を変える」ことで思考も落ち着いたり、柔軟に変化しやすくなったりするものだ。

 

「距離を取ること」で精神状態に作用する効果は想像以上に大きい。

 

爆発物から身を守るために「まず遠ざかる」ことが大事なように、ストレス源からはできるだけ距離を取る工夫や努力をすることも必要だ。

 

気づいた時点で、どうやったらそのストレスから身を守れるかを全力で考える。

 

生きるために、大切な自分を生かすために、考える。

 

最善な道を様々な方法を駆使して考える。

 

 

物理的に今すぐ「逃げる」ことが難しい時、辛すぎると無意識に現実逃避してしまっているとは思うけど

 

どうせ逃避するなら現実的に「距離」を取って逃げる方が後々の自分の為には健全な選択だ。

 

すぐに逃げられない時にも、そこだけが自分の生きる世界の「全て」ではないことを、情報として頭の片隅だけでもいいから知っておく。

 

そして「次なる世界」への希望をわずかでもいいから作っておきたい。

 

グルグル不安や不満に苛まれてしまって一人で考え込むとあまりいい方向にはいかない。

 

気分転換だけで切り替えられない状態の時、どうしても辛すぎる時は、まずはそこから逃げる事「だけ」を考える。

 

「負のループ」は、動くことで一旦切りたい。

 

その場にとどまって「立ち向かう」方法を考えない方がいいだろう。

 

立ち向かうだけが勇気ではない。

逃げることも勇気だ。

 

仮に逃げることを誰かに「弱者」や「現実逃避」のように蔑まれたり、罪悪感を植え付けるような事を言われたとしても「てやんでぃ、ばかやろー」くらいの不良精神を持つ。

 

心理的にもすぐ離れられるかは別としても、まずは物理的に離れる方が「負の沼」からサラバしやすい。

 


とにかく大事なのは、何よりも自分の心がそれ以上壊れないようにすることだ。

 

 

私は毒家族の激しい愛憎劇の中で自分と人を責め続け、結果的に心身ともに壊れてしまった経験がある。

 

命はあるから何とか立て直せたが「健やかな心身」を取り戻すまで日常生活を軌道に乗せるまではかなりしんどかった。

 

「健やかな心身」と書いたが、元々健全な人のピカピカした眩しい健やかさと比べたら、薄汚れたものではある。

 

色で例えたら「純色」と「濁色」くらい大きく違う。

 

這い上がるまでに何度も「こんな辛い思いをしてまで何で生きているんだろう」と思った出来事も多々あった。

 

だから、あの時の自分への戒めも含めて

「逃げることは弱虫ではない」

「逃げることは自分を守れる強さにもなる」と伝えたい。

 

逃げることってどうしてもネガティブに捉えられがちだけど、時には逃げる勇気が後々に英断だった、なんて事も多々ある。

 

 

人生には逃げてはいけない時もあるけど、逃げた方がいい時もある。

 

「過去の自分自身の甘さや弱さが招いた失敗」を自分で塗り替えたい時は逃げない方がいいけれど、そこに自分以外の「誰か」は絡まない。

 

あくまでも「自分」からは逃げてはいけないし、逃げられない、ということなんだと思う。

 

そしてその決断を間違っていなかったと判断するのは「他人」ではなく「未来の自分」だ。

 

そう思えるためにそれに向かって努力することを選べるのも「自分」なのだ。

 


そして、仮に「あの判断は間違いだったかも・・・」「失敗した~!」と思う経験があったって、命さえあれば立て直せる。

 

だからそれが正しいか間違いかなんて気にしてるよりも、失敗も間違いも笑い飛ばせるようなタフな人でありたいとも思う。

 

 

 

 

続く