人生はご縁とタイミングだ。
人生って、自分の思い通りに希望が叶う事ばっかりじゃない。
思い通りにいかない事もある。
取り組んだ事の結果がよくなかったら、落ち込むのは当然だ。
思いの強さの分だけ、落ち込むんだと思う。
その時はその時で、じぶんの気持ちに寄り添ってあげる。
すぐになにかの答えを出そうとしない方がいい。
落ちている時に思考を働かせすぎると、たいていあんまりいい結果にならない。
ちょっと長い時間軸に視野を広げてあげて、あんまり狭い思考に囚われない方がいい。
後々になってみると
転職活動の中で悔しい思いをした事も、
小さなコミュニティの中でうまくいかない人間関係に悩まされた事も、
なんだか結果的には納得がいくようになっているものなんだろうと思う。
納得がいくようになるまで、
つまり心の整理がつくまでに要する時間や
メンタルの立て直し方はいろいろだけれど。
転職活動や仕事や人付き合いだけに限らず、
「ひと」ではない不動産や服飾や食べ物とかの「もの」でも
「ご縁」と「タイミング」は大事だ。
そう割り切れると気持ちも楽になる。
「結局はご縁とタイミングよね」と。
不必要に自分を責める事もしなくなる。
とはいえ、
開き直って反省をしないひとになればいいってわけでもない。
考えない、聞く耳をもたないひとになってしまったら
きっとその先にあるはずの、ご縁やタイミングも逃してしまうんだと思う。
魅力的なひとって、人の見えないところでは反省や努力を重ねているひとだから。
反省と、自分を責めることは似て非なるものだから。
だから、そこから反省することがあったら何かしらの学びをつかみ取る気概は持っていたい。
悲しい、悔しい、嫌な思いをすればするほど、その負のパワーは怒りにもなりやすいし、つい相手を責めたくなる時もある。
でも、その悔しさは使い方を間違えなければ
自分を奮い立たせるエネルギーにもなる。
燃焼材にして昇華するのが健全な向き合い方だし、
自分と人をそれ以上泥沼に落とさずに、前向きに切り替えられるためのステップだと思う。
思い入れが強くて、関係性が濃いものほど、
割り切れるまでに要するエネルギーも大きくなる。
だから、あんまりにもショックが大きすぎる事で感情がついていけないほどならば、
まずは自分を守ってあげるために、
一時だけなら相手を(心の中でor信頼できる人と)責めるのもアリだと思う。
思考というより感情、気持ちにちゃんと寄り添ってあげる。
負の感情を無かったことにして無理やりフタをしないで、ちゃんと昇華させてあげる。
特に、自分を責めて相手を正当化しやすいひと=自己否定の強いひとは
心の持っていき方が難しいだろうと思うけれど、
大事なことは、いつまでも「誰かを責め続けない」ことだ。
その「誰か」にはもちろん自分も含み。
相手のせいにするか、自分のせいにするか、の二元論ではなくて
「(最終的には)誰も悪くない」「合わなかったんだ」
っていうところに着地できると、負のパワーに支配され続けなくて済む。
そして、その時々のご縁は必要なタイミングで
じぶんにとってたとえ不本意な結果になったとしても
それもその時のじぶんには、なにかしら然るべきご縁だったのだろうと
自然と思えるようになっている。
その時には、もうあの時感じていたネガティブな感情からはすっかり抜けだせていたりする。
その幸せな魔法が「ご縁」と「タイミング」なんじゃないかと思う。
あくまでも常識、法律、倫理の範囲内で、の話に限るけど。