野暮なコミュニケーション

会話の中で質問が多い相手にはこちらの防御力が必要だ。

 

なぜなら、人は誠実な性格であるほど質問には答えなければ…という義務感が生じるからだ。

 

テキトーにお茶を濁す

のらりくらりかわす

逆に質問し返す

聞こえないフリをする

話を変える

 

こういう事が自然と出来る器用な人はそれでいいが

 

そこに罪悪感が生じてしまう真面目で心優しいあなたは

もう少し、不真面目にテキトーに、強気に考えるくらいでちょうどいいのかもしれない。

 

 

相手の誠実さや義務感につけ込んで(たとえ無意識でも)相手の優しさに甘んじてくる人には

厳しく躾けてやる、くらいの気概を持つ事。

 

あなたが飼い主になるつもりで

調教する。

それ以上調子に乗らせない事。

 

 

人に優しく、人に公平に…

残念ながら世の中はそうはいかない事が多い。

 

目には目を、歯には歯を

も時には必要だ。

 

 

質問というのは極めて暴力性が高く、野暮なコミュニケーションになる可能性が高い。

 

質問がいい意味で働く場面は、教わる立場の者が指導者に対してする時ではないだろうか。

 

普段の会話の中では、コミュニケーションとして相手に興味を持って質問する事が、必ずしも好意的に受け取られるわけでもない。

 

あなたに対する興味や好奇心があるからといって、思いやりのある関係を築けるわけではない。

 

年齢を重ねた大人になるほど、答えたくない事や触れらたくない過去の一つや二つはあるものだ。

人の性格により、許容範囲も様々だ。

 

相手をよく見てコミュニケーションをする繊細さ

デリカシーは必要不可欠。

 

年齢を重ねれば重ねるほど、コミュニケーションというのは繊細なくらいがちょうどいい。

 

無礼な人

失礼な人

不躾な人

と思われたら、アウト。

 

それが許されるのは若いうちだけ。

 

粋な人は、むやみやたらに質問しない。

 

なんとなく、流れやフィーリングを大切にしている。

 

すぐに、今すぐに、自分が聞きたいことだけを知ろうと焦らない。

 

余裕、余白を楽しめる。

 

相手の誠意や性格に甘んじたコミュニケーションを取っている人は

相手のリアクションで安心するなかれ。

 

大人は表に出さない術を知っている。

 

その幼稚で暴力的なコミュニケーションに、内心ウンザリしているかもよ。