女の美学 ~人間観察記~

自由なエッセイ

女の美学 ~渡る世間は「鬼」ごっこ~

 

鬼だらけの世知辛い世を渡る掟として、特に仕事関係者の仲間内での悪口は言わないに限る。

 

これは道徳上ではなくリアルな世渡りの話。

 

当たり前な人には当たり前のことなのだが、当たり前じゃない人には当たり前じゃないことなのが厄介。

 

誰かの悪口にならない程度の軽い「愚痴」ならセーフだが、その辺が曖昧なものもあるので、とにかく危ういゾーンに含まれるようなことは言わないことだ。

 

だが自分含む色んな鬼がいる以上、合う合わないなどの相性もある。

 

ストレスを溜め込むのはよくない。

 

仕事関係者と全く違う世界の住人で聞いてくれる人がいたらその人へ愚痴って聞いてもらうのもよいだろう。

 

でも愚痴ばかりでは敬遠されるしそもそもそういう相手がいない人もいるかもしれない。

 

友達に共有するのが愚痴ばかり、という自分にもなりたくない。

 

ではどうやって発散するのかといえば「デスノート」だ。

 

自分だけが見るデスノートを作り、気が済むまで書き殴る。

 

鬼の形相で。

 

 

で、そんな風に鬼のわりには人畜無害な方法で健気に葬ったとて、残念ながら悪口を好む鬼に出会って捕まってしまう時もある。

 

現実的な対処法としては「心を鬼にして」同意はしない。

 

が、敵意も向けない。

 

心の鬼は外に出さずに福の顔して話を逸らす。

 

鬼は内側、福は外側、で。

 

いわゆるスルースキルというものを身に付ける。

 

 

そして鬼の正しい心構えとしては「自分は言われていないだろう」ではなく、「自分も言われてるんだろな」である。

 

適当にあしらいつつ、たとえ言われていたとて気づいても知らんぷりできる強かさは身に付けていたい。

 

いや、正確に表現するならば「身に付ける」というより「備わっている強かさを思い出す」の方がきっと正しい。

 

 

「したたか」ってなんとなく嫌味な響きで使われる事も多いけど、本来の意味はそこまで悪くない。

 

どちらかというと「狡賢い」とか「小賢しい」とかそういうネガティブなイメージと勘違いされやすいけど、

 

そこまで行き過ぎるしたたかさじゃなくって、力強く世渡りができる方の強かさだ。

 

たぶん、「狡賢い」と「強か」の境目はマナーやモラルの有無。

 

マナーもモラルもへったくれも無くなると、他の鬼たちに本気では遊んでもらえなくなる。